「泰平山無量寿寺(たいへいざんむりょうじゅじ)」は、聖徳太子が物部守屋を討ち果たした後、皇大神宮へ祈願の折、神託を受けて創建したと伝えています。後、聖武天皇の意を受けた行基により修営され、聖武天皇の勅願所となりました。
弘仁年間(810〜824)弘法大師が諸国巡錫の折に当寺に立ち寄り、本尊阿弥陀仏の霊威に感嘆して17日間の大供養会を行い、その模様は「道俗男女の参籠群集するもの雲霞(うんか)の如く盛んであった」と言われています。
この時初めて弘法大師が、伊勢国府の天下泰平な土地柄から無量寿寺の山号を「泰平山」と名付けられたと言われています。これらは国府阿弥陀如来のご利益であり、また本地垂迹(ほんじすいじゃく)の神秘でもあり、世の人は皆、密教における胎蔵界の中の阿弥陀如来が天照大神の元々のお姿であると深く崇めました。
故に国府阿弥陀如来は、皇大神宮・天照大神の本地仏(ほんじぶつ)とされています。(覚乗上人の竹布の袈裟の伝説)
伊勢の皇大神宮を日本国の最も古く、篤い信仰を集める場所として参詣する善男善女は、無量寿寺に心を寄せ参拝するのが習わしでした。
★泰平山無量寿寺のご詠歌 二首
ただ頼め よろづの罪は 深くとも わが本願の あらんかぎりは
弥陀頼む 人を空しく なすならば われこの国の 神と言はれじ