「補陀落山(ふだらくさん)府南寺」の本尊は「国府の観音」とも「上寺の観音」とも称されている千手観世音菩薩です。 聖徳太子の創建に係ると言われ、聖徳太子が仏法を広めるにあたり、意見の分かれた物部守屋の降伏を、皇大神宮へ祈願し「仏法を興隆せんと思わば、まず当国(伊勢国)に一宇の伽藍を建立し、専ら祈念致すべし」との霊告を得ました。
聖徳太子が伊勢国を巡遊し、この地(伊勢国府)に至ったとき、雨宝童子の「汝を待てり。この南の山は観音有縁の地にして、ここに千手観世音菩薩像を奉安すれば、諸願は成就すること疑いなし」との神託を得、直ちに霊木を求めて高さ1丈3尺の千手観世音菩薩を刻み、観音山に七堂伽藍を建立して安置しました。山号は観音浄土の名、「補陀落山」から名付け、この地の北に「国府」があり、府の南に在ることから「府南寺」を寺号としたと言われています。
さらに聖徳太子は当山守護の鎮守として飛龍権現・摩利支天を奉安して、士卒全てに勝軍厄除の観音の守りを授与し、物部守屋との戦に勝利しました。これにより推古天皇の勅願所となりました。
千手観世音菩薩の左右の脇侍には上品の勝軍地蔵尊と毘沙門天王が奉安されています。
なお、当時の観音山境内の池泉を天人影向ケ池(てんにんようごうがいけ)または観音池と称し、観音堂前には聖徳太子お手植えの松があり、岸の松と言われました。 本尊は治病・除厄・開運・安産、さらに古くは養蚕に霊験が顕かと伝えられ、遠近から多くの参詣者が集いました。
補陀落山府南寺ご詠歌(花山法皇)
いろづくや 上寺山の 岸の松 風の音して 穐(あき)を知らせむ
