場所 阿弥陀堂
施餓鬼(せがき)供養について
人が亡くなると、仏教では因果応報(人は善い行いをすると善い報いが訪れ、悪い行いをすれば悪い報いが訪れる)、生前行った功徳の結果において、次の世では、六道の世界に振り分けられると考えられています。
六道とは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの世界のことを言います。その中で、餓鬼道の世界とは、生前、欲張りで嫉妬深い人が陥る世界のことです。餓鬼道の世界には様々な欲望を欲する人々が集まってきておりますが、決してその欲求は何一つ満たされることなく、己の欲望の炎によって、自身の身を焼いて苦しむ世界のことです。
お釈迦様の10大弟子の一人に目連(モクレン)という人がいました。目連は、お釈迦様の弟子の中で後世神通第一と呼ばれるほど、神通力の優れた人でした。ある日、目連は、亡くなった母親がどうなっているのか神通力を使い透視を行いました。すると母親は、餓鬼道の世界に落ち、体は痩せこけ、お腹だけ膨らませて、口に入れようとする食べ物は全て燃え上がり、もがき苦しんでいるではありませんか。目連の母親は、生前、他人の不幸をほくそ笑み、己の欲望のみに生きてきました。その結果が餓鬼道だったのです。目連は、どうすればよいかお釈迦様に相談しました。すると、お釈迦様は、「雨季もそろそろ明ける。修行から出てくる僧侶たちと母親を供養することによって、母親は餓鬼道の苦しみから救われるであろう」と言われました。インドでは、僧侶は雨季の期間中修行に籠ります。目連は、修行から出てくる何百人という僧侶たちを待ち、母親を供養しました。その後、神通力を使って母親の様子を見てみると、母親は、餓鬼道より救われ、微笑みながら天界へと誘われて行くではありませんか。このことが日本に伝わりお盆の時期に奉修される施餓鬼供養の起源となったのです。
人は誰しも、つい欲深い行いを知らず知らずのうちに行い、その結果、因果応報、次の世では餓鬼道の世界に落ちて苦しむようになるかも分かりません。そうした人々を救うには、今生きている私たちが、善行を積んで、仏様の慈愛を培わなければなりません。施餓鬼供養とは、字の如く、餓鬼に施すということですから、まず、水や食べ物を供え、読経回向します。
しかしながら、 ここで施餓鬼供養の最も大切なことは、普段から家族をはじめ他人にも気を配る優しさを持ち、食べ物を大切にし、他人に施し、共に分け合うこと(布施の心)の大切さに気づく時間をもつことにあります。合掌