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仏陀の教え②

 毎日が楽しく、愉快に過ごせることができたら本当に素晴らしいことです。ところが、残念ながらこのような状態が永遠に続き、何の苦悩もなく一生を過ごすことができる人は、ほとんどいないと言っていいでしょう。では、何が原因で苦しみを感じるのでしょうか。

 人は、言葉によって自分の意思を伝え、他人の言葉によって助けられ、また時に傷つけられます。特に、心に深く傷つけられた場合、傷ついた方は、いつまでも忘れることができず、執着となり、苦しみ続けます。その一方で傷つけた方は、得てして忘れてしまっている場合が往々にしてあります。親子、兄弟、兄妹、姉弟、姉妹、夫婦、その他の親族、学校、職場、友人あるいは、初対面の関係においても、言葉による心の傷は、様々な人間関係の間で起こり得ます。また、そのことが引き金となり、取り返しのつかない方向へと進んでしまうことは、今の情報化社会の中では周知の事実ではないでしょうか。僧侶となった私自身も深く傷つけられたこともあり、また、どれほど傷つけてきたかわかりません。

 「宗教、信仰の重要性は?」と今の日本人に尋ねると、どのような返答が返ってくるでしょう。宗教の定義は、非常に難しいですが、私自身、宗教とは、第一に「人が人と関わり、争いのない状態で、幸せに生きることを目的とした教え」と捉えております。

 仏陀の教えに「八正道」(はっしょうどう)があり、その中の一つに「正語」(しょうご)があります。「正語」とは、妄語(もうご)を離れ、綺語(きご)を離れ、両舌(りょうぜつ)を離れ、悪口(あっく)を離れる正しい言葉を使うということを意味します。在家(ざいけ)の勤行次第(ごんぎょうしだい)では、十善戒(じゅうぜんかい)(幸せな生活を送るための10の戒め)があります。10の戒めの内、口(言葉)に関するものが4つを占めます。①「不妄語」(嘘をつかない) ②「不綺語」(中身の無い言葉を話さない) ③「不悪口」(乱暴な言葉を使わない) ④「不両舌」(他人を仲たがいさせるようなことを言わない)の4つです。また、人々を幸せに導く4つの徳として「四摂事」(ししょうじ)があります。その中の一つが「愛語」(あいご)です。「愛語」とは、やさしい,いたわりのある心のこもった言葉をかけることを意味します。決して自分には関係ないことと見放し、沈黙して無視することを是としません。この「愛語」は、まさに慈悲の心であり、観世音菩薩の行ずる教えでもあります。仏陀の教えでは、人が生きていく上でどれほど口(言葉)が、重要な位置を占めているかが伺えます。

 最近の情報化社会では特にメディアの影響が大きく、年代に関わらず丁寧で上品な言葉を使う人を「親近感が無い」といって批難することさえあります。口(言葉)に関する仏陀の教えを、知る機会を得ることができるならば、母親の胎内にいる時期に、物心がつく幼少期に、多感な青年期に、あるいは様々な経験をしてきた老年期に、その受け取り方・感じ方は、年代において大きく異なることでしょう。しかし、仏陀が、これほどまでに重要視した口(言葉)に関する教えを、今の日本人が、2500年もの歴史を超えて知る機会を得ることができるならば、現代を生きる日本の人々の心を落ち着かせ、争いのない状態で、人が人と関わり、取り返しのつかない方向に向かうことを防ぎ、より幸せな生活を送ることができるのではないかと思えてしまう今日この頃です。

合掌

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