永代経施餓鬼会(先祖供養)
日時 8月15日(土) 午後1時~2時
場所 阿弥陀堂
各寺院では、お盆の期間中に施餓鬼(せがき)供養が行われます。では、施餓鬼供養とはどのような由来があるのでしょうか?
人が亡くなると、仏教では因果応報(人は善い行いをすると善い報いが訪れ、悪い行いをすれば悪い報いが訪れる)、生前行った功徳の結果に従い次の世では六道の世界に振り分けられると考えられています。六道とは、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の6つの世界のことを言います。その中で餓鬼道の世界とは、生前欲張りで嫉妬深い人が陥る世界で餓鬼道の世界には様々な欲求を欲する人々が集められ、決してその欲求は満たされることなく、己の欲望の炎によって自身の身を焼いて苦しむ世界のことです。
お釈迦様の弟子に目連(モクレン)という人がいました。目連は、お釈迦様の弟子の中で後に神通第一と呼ばれるほど神通力の優れた人でした。ある日、目連は亡くなった母親がどうなっているのか神通力を使い透視を行いました。すると母親は、餓鬼道の世界に落ち体は痩せこけお腹だけ膨らませて、口に入れようとする食べ物は全て燃え上がり、もがき苦しんでいるではありませんか。目連の母親は、生前他人の不幸を喜び、人をだまし、己の欲求のみに生きていました。その結果が餓鬼道だったのです。驚いた目連は、どうすればよいかお釈迦様に相談しました。すると、お釈迦様は、「雨季もそろそろ明ける。修行から出てくる僧侶たちと供養することによって、母親は餓鬼道の苦しみから救われるであろう」と言われました。インドでは、僧侶は雨季の期間中修行に籠ります。早速、目連は修行から出てくる何百人の僧侶たちを待ち母親を供養しました。その後、神通力を使い母親の様子を見てみると、母親は餓鬼道より救われ、微笑みながら天界へと誘われて行くではありませんか。この内容が日本に伝わりお盆の時期に奉修される施餓鬼供養(先祖供養)のはじまりとなったのです。
人は誰しも、つい欲深い行いを知らず知らずのうちに行い、その結果、因果応報、次の世では餓鬼道の世界に落ちて苦しむようになるかも知れません。そうした人々を救うためには、今生きている私たちが善行を積んで、仏様の慈愛を培い、餓鬼道で苦しむ人々を天界へと導いてやらなければなりません。施餓鬼供養とは、その字の如く餓鬼に施すということですから、まず水や食べ物を供え読経回向(どっきょうえこう)します。
今年はコロナウイルスの影響で外出を見合わせることが多くなってきておりますが、施餓鬼供養で最も大切なことは、普段から家族をはじめ他人にも気を配る優しさであり、食べ物を大切にし他人に施し共に分け合うこと(布施の心)の大切さを改めて気づかされる時間をもつことにあります。合掌
餓鬼