将棋の杉本昌隆八段はたくさんの戦術書を出版されていますが、2冊の一般書も出版されております。「弟子・藤井総太の学び方」と「悔しがる力 弟子・藤井総太の思考法」の2冊です。既にお読みになった方も多くお見えになるのではないかと思いますがまだの方は是非お読みになってみてください。小、中、高校生のお子さんをお持ちの方、何かを教えることに携わっておられる方、一般の会社員、公務員の方、自営業を営んでおられる方、目標をなかなか叶えられず悩んでおられる方、コロナ自粛でお時間のある方、皆さまにお薦め致します。杉本八段とは少なからず親交をさせていただいておりますが皆さまもご存知の通りお弟子さんである藤井総太七段が最年少で棋聖のタイトルを取られました。これらの本は棋聖を取られる前に書かれた本ですが藤井棋聖の魅力だけでなく将棋という厳しい勝負の世界を通して師匠である杉本八段のこれまでのお考えがふんだんに掲載されております。
すべての項目に共感を覚え勉強させていただくのですが、誠に僭越ながら敢えて一か所だけ補足させていただくなら「悔しがる力」の「43断崖絶壁に追い込まれた経験が立ち直る支えになる」の中で杉本八段が若かりし奨励会時代に苦悩した記述があります。
≪いつも対局後の真夜中に神社に寄り、一人座り込んで神殿を見て無念さをぶつけました。「なんで師匠を殺した?」「なんで自分の健康すら奪う?」「あなたは残酷だ」・・・・≫
若かりし杉本八段の感情があふれその苦悩が伝わってまいります。ところが最後に≪・・・困難に直面した時、それをどう受け取るかのほうが、実は人生を左右するように思います。≫で締めくくっておられます。なかなか私たちはその域(「ありのままを受け入れる」ことの大切さに気づく;仏教の教え)に達することはできません。
まさに杉本八段にとって、「無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう) 百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう) 我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)」と言ったところでしょうか。
今も杉本八段がお近くの神社をお参りされているかどうかはお聞きしていないのでわかりませんが、本来神社、仏閣は一般の方がお願いをする所ではありません。神・仏に一般の方がお願いをすること自体間違った行為なのです。では何をする所なのか。ご存知の方もお見えになると思いますが「感謝」をする場所です。たまに訪れるのではなく日頃から仮にどのようなことが起こったとしても生きている以上「生かされている」ことに感謝するのです。神・仏の前で「手を合わせ自分の心を整え清浄な状態になる」ことを実践しその大切さを感じることができたなら、仮に自分が思い描いていた通りに物事が進まなくても長い目で見れば結果的にその人にとって必ず良い方向に向かいます。自分が気づかない内に良い方向に導かれていくのです。これが今日の老若男女のほとんどが見失っていると言っても過言ではない古来から日本人が持ち合わせた本来の信仰心であり功徳ある行為なのです。合掌
ムクゲの花
花言葉「信念」「信仰」「尊敬」「新しい美」