一雨一度(ひとあめいちど)と呼ばれるにふさわしい季節になってまいりました。金木犀(きんもくせい)の花は、非常に香りがよく心地いい気持ちにさせてくれますが、秋雨の中でわずか数日程の短い開花となります。その花のつつましい様子から花言葉が「謙虚・謙遜」、潔くすべての花を散らせることから「気高い人」と付けられています。
六波羅蜜の菩薩行「利他」の一つに「持戒」があります。どうして戒(かい)が六波羅蜜では「布施」と同じく他人に対して利益(りやく)になるような行動に分類されるのでしょう。戒とは、戒(いまし)めです。一般的には、行動規範であり自分を律する道徳規範です。例えば僧侶と在家の方の戒は異なります。僧侶は、見た目一つをとっても在家の方とは異なり髪の毛は綺麗に剃り上げます。神・仏の前では心身ともに清浄で煩悩のない状態で長時間正座し、毎日のお勤めに励まなければならないからです。修行中にこれらの事を日常の当たり前のこととして教わります。しかしながらこれらの事は在家の方に求めることはありません。”自分は僧侶である“と名乗る人には求めたい気もしますが・・・。
以下は在家の方のための五戒です。
◎五戒
1.不殺生戒(ふせっしょうかい)(生き物をむやみに殺してはならない)
2.不偸盗戒(ふちゅうとうかい)(他人のものを盗んではならない)
3.不邪淫戒(ふじゃいんかい)(不倫など不道徳な性行為を行ってはならない)
4.不妄語戒(ふもうごかい)(嘘をついてはならない)
5.不飲酒戒(ふおんじゅかい)(我を忘れる酒の飲み方をしてはならない)
これらの事を破る行動を平気で行う大人を無垢な子供たちが見たらどのような影響が及ぼされることになるでしょう。仏教の教えでは、五戒を守ることこそが他人に対して利益(りやく)を与えることになるのです。
◎真言の三密[身口意(しんくい)]の在家十善戒(ざいけじゅうぜんかい)を以下に示します。
「身業(しんぎょう)」自分の行動を正す(清める)目的で行う。
「口業(くぎょう)」自分の発する言葉を正す(清める)目的で行う。
「意業(いぎょう)」自分の心を正す(清める)目的で行う。
仏教の教えでは、戒を心に持つことは、他人に対して利益(りやく)を与えることになりますが、これらの戒を守らなかったと言って罰せられることはありません。イスラム教、キリスト教と比較すると戒に関しては非常に寛容であると言えます。今の日本では「持戒」の教えが軽んじられているような気がしてなりません。日本が戦後急速に発展し物質的に非常に恵まれた裕福な国になったにも関わらず、精神的には非常に貧しい生きにくい国になっている一つの原因なのかもわかりません。
仏教には六道輪廻の教えがあります。魂の存在があるとするならば、この世に生きる人間への戒めとして生前の行いによって次の行き先が決まるという教えです。仏教の戒を軽んじる人間は、天道や人間道、修羅道に導かれることはありません。閻魔大王などの審判員によって、畜生道、餓鬼道、地獄道へと導かれ決して生前の行いが見過ごされることはありません。合掌
仁王門東側に咲く「金木犀」
秋の草花「ホトトギス」とアブ