「伊勢 美し国から」
三重テレビ 5月2日(日)18:30~18:45
再放送【第2チャンネル】
5月12日(水)16:00~16:15
ZTV 5月1日(土)~15日(土)
7:15~、19:15~ほか
「伊勢 美し国から」の番組の中で、県天然記念物「アイナシ」と泰平山府南寺について五十鈴塾から放映されます。合掌
●泰平山府南寺略縁起●1400年の歴史
≪飛鳥時代≫
聖徳太子が物部守屋(仏教排斥者)との戦いに際し伊勢神宮に詣でる途中、伊勢国府の地(現在の鈴鹿市国府町)の観音山に千手観世音菩薩を刻み、戦勝祈願をする。補陀落山府南寺が建立され推古天皇の勅願所となる。
聖徳太子は物部守屋との戦いに勝ち、現在の府南寺に国府阿弥陀如来を本尊とする無量寿寺が建立される。
≪奈良時代≫
聖武天皇の仏教帰依により行基が入山し、無量寿寺を修復、鐘楼の鐘を鋳造する。無量寿寺が聖武天皇の勅願所となる。
≪平安時代≫
弘法大師【空海】が無量寿寺に入山し、山号を泰平山とし泰平山無量寿寺となる。真言の教えを継ぐ寺院となる。
花山法皇が観音巡礼の際、補陀落山府南寺に入山し、御製(ぎょせい)の和歌を残す。
≪鎌倉時代≫
運慶が泰平山無量寿寺本尊(国府阿弥陀如来)の守護神として金剛力士像を彫刻。
奈良西大寺の覚乗上人が伊勢皇大神宮から二見ヶ浦を経て泰平山無量寿寺に入山し、国府阿弥陀如来が伊勢皇大神宮(天照大神)の本地仏【本地垂迹(ほんじすいじゃく)】であることを確認する【竹布の袈裟の存在】。
≪室町時代≫ ~ ≪戦国時代≫
織田信長による天正年間の兵火を逃れ、補陀落山府南寺の本尊千手観世音菩薩は泰平山無量寿寺に移される。これより当山は、本尊を2体(国府阿弥陀如来と国府千手観世音菩薩)となり、泰平山無量寿寺の山号と補陀落山府南寺の寺号を取り、泰平山府南寺と改称する。
≪江戸時代≫ ~ ≪明治・大正・昭和≫
その後数世を経て、五十九世府南寺住職光然法印の高弟であった六十世良遍法印は、学識も行動力も兼ね備え、観音堂を再建し、阿弥陀堂を改築し現在の泰平山府南寺の基礎を固める。ゆえに、良遍法印をもって、泰平山府南寺中興の開山第一世とし、十六世を経て久米令温法印(1889~1978)に至る。