厚生労働省の調べによると先進諸国の中で10代、20代の死亡原因の第1位が病気ではなく自殺である国は日本だけだそうです。自殺という選択を思いとどまったとしてもなぜ日本は若者にとって生きにくい国になってしまったのでしょうか?
Yahoo!JAPAN「RED Chair」の羽生善治九段へのインタビュー第5回の質問に「今の世の中が生きやすくなるには?」という質問がありました。それに対して羽生九段は「今の世の中は、大量のデータがあってその分析に基づいて判断し、意思決定をしていきます。これは全体を最適化している状態で個人にとっては別の話です。逆に個人から見たらいい選択でも全体から見たら弊害になっていることもあります。これらをかみ合わせてどういうふうにやっていくかが問われています。答えがあるわけではありませんが問題意識としてこれらのことをよく考えています。うまくまわりとやっていくことも、どちらか一方に偏ることも程よい加減を見つけることが大切です。自分の意思だけを全部通すといろいろなところで摩擦、衝突がおこります。周りの空気に全部合わせるのもすごく辛くなってしまいます。程よい加減を探すことが大切です」。羽生九段のこのお考えは、まさに仏教の「中道」の教えです。羽生九段が仏教の教えを学習されているかどうかはわかりませんが、「程よい加減」という考えがいつから持てるようになられたのか是非お伺いしたいと思いました。
今の世の中「私が!私が!という自我意識の強い人」、あるいは「まわりに合わせることを意識しすぎて辛くなってしまう人」がどれほど多く、「程よい加減」を身に着けることによってどれだけ生きやすくなることかできるかと感じます。仏教の「中道」は「道」です。修練が必要となります。具体的には般若心経にも説かれる「四聖諦」から「八正道」の実践です。①正見(こだわりなき正しい物の味方) ②正思惟(こだわりなき正しい思考) ③正語(こだわりなき正しい言葉) ④正業(こだわりなき正しい行い) ⑤正命(こだわりなき正しい生活) ⑥正精進(こだわりなき正しい努力) ⑦正念(こだわりなき正しい意識) ⑧正定(こだわりなき正しい落ち着き・精神統一)これらの実践が伴い「中道」が身に着くと考えます。私は羽生九段のお話しぶりからこれらのことが自然に身につかれたものなのかと連想してしまいます。「求道者」とはそういった人物のことを言います。
最後の質問「人生の最終地点は?」に対して羽生九段は「ゴールとかがあるわけではありません。日々その時その時自分なりに充実して過ごしていければいいのかなと思います。すごい先のことは考えずに過ごしています」。このお考えもまさに仏教でいうところの「而今(にこん)」です。意味は、「時は刻々と過ぎていきます。今という時間が留まることはありません。だからこそ、今を大切に生きていく」という教えです。
「 生きにくい」と感じてしまう今の日本、幼いころから「般若心経」を代表とする本来の仏教の教えに触れる機会がもっとあれば「生きやすく」なるのではとつくづく思う今日この頃です。合掌