師走を迎え、冬晴れが心地よい季節となって参りましたが、コロナウィルスは終息に向かうどころか益々勢いを増す時節となってしまいました。くれぐれもご自愛ください。
六波羅蜜(ろくはらみつ)の菩薩行(ぼさつぎょう)の教えの最後が解脱(げだつ)に分類される「智慧(ちえ)」です。数多ある仏教の教えの中で最も重要な教えと言っても過言ではありません。仏教では「智慧」のことを「般若(はんにゃ)」という言葉でも表します。すなわち「智慧」=「般若」とは、「道理を見極める心の作用を意味し、物事をありのままに捉え、真理を見極める力を養う」という内容です。
今の日本では、私欲にまみれた表面的な言葉(妄語、綺語、両舌)によって騙されてしまう状況に遭遇し、果たして何が正しいのか何を信じたらいいのかが分からなくなり、理不尽なことが日常茶飯事的に起こっています。「般若」の教えは、現代人にとって必要不可欠な教えと言えるでしょう。日本人にとって一番なじみの深いお経「般若心経」には、「智慧」が説かれています。「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)」とは、「(摩訶)この上ない最高の (般若)智慧の (波羅蜜多)完成に至る (心経)心の教え」という意味です。たった262文字の短いお経ですが、前半は「空(くう)の思想」が説かれ、後半では「無(む)の思想」が説かれ、最後に真言で締めくくられた極めて内容の深い完成度の高いお経と言えます。
私が学生時代新宿の合気道の本部道場で腕っぷしの強い欧米の社会人の方と稽古をさせていただく時につくづく感じたことですが、外国人の方で成果を修めている方々は、すばらしいと感じる事に対しては非常に敏感でそれを身に付けることに全く時間を惜しみません。「般若心経」の教えをこよなく信仰し、スマホの開発によって世界を変えたスティーブ・ジョブズ氏、ビートルズのジョン・レノン氏は、世界平和の願いを込めて「般若心経」から「イマジン」という曲を作ったと言われています。一方日本人は?と言えば、老若男女すべての世代において「般若心経」が唱えられる人はどれほどいるでしょう。5、60年前までは、お爺ちゃん、お婆ちゃんが「般若心経は、ありがたいお経だからとにかくお唱えするんだよ」と伝えていたのが日本の家庭の普通の光景でした。
聖徳太子によって1400年もの長きに渡って伝えられてきた仏教の神髄である「般若」の教えが戦後のたったの50年の間で伝わらなくなってしまいました。様々な要因が考えられます。戦後の核家族化、信仰・信教の自由から仏教の本来の教えが伝わりにくくなったとも考えられますが、キリスト教を信仰される方の中にも「般若心経」を信仰の対象とされているように「よい教え」というものはそう簡単になくなるものではありません。やはり日本人として神・仏を敬う心自体がどこかに置き去りにされ、物質欲を満たすための利害関係を優先した心のあり方が蔓延し今の日本社会をつくりあげてしまったからではないかと思われます。それに加えて仏の教えを伝える僧侶の質の低下が挙げられるのではないでしょうか。修行経験もなく、髪を伸ばし、「布施」の意味を履き違え、日々のお勤めもせず、私欲(金儲け)を満たす道具として仏を利用し、言葉(妄語、綺語、両舌)巧みにその場を取り繕う在家坊主。僧侶にとっては必要のない高級車を乗り回す商売坊主。挙句の果てにギャンブルに興じホステス通いをすると言った似非坊主まで存在するといった具合でしょうか。
僧侶は、襟を正して本尊に向き合い、日々のお勤めに励み(特に朝のお勤めは、本尊並びに昇る太陽≪自然が織り成す最高の恵み≫・大日如来≪太陽を司る最高の仏、曼荼羅(マンダラ)の中心仏≫・天照大神≪太陽を司る最高の神、日本人の祖先≫に対し生かされていることに感謝しながら深く瞑想し「禅定」、平和な世の中を願い、少なくとも1時間以上はお勤めしたいものです)続けることが「精進」です。そして皆様が、心の洗濯、拠り所として「般若心経」を唱えられるような日本社会になることを心から願うばかりです。合掌
【般若心経の真言】
ぎゃーてい ぎゃーてい はーらーぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか
府南寺 東門のイチョウ