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2つの「国葬」から学ぶ その1

 エリザベス女王の国葬と安倍晋三元首相の国葬では大きく異なる点がありました。イギリス王室と日本の政治家の国葬ですので一概に比較はできませんが、エリザベス女王の国葬では、まず首相に就任したばかりのリズ・トラス首相が「聖書」を朗読しました。次に大主教による「説教」があり、非常に宗教色が強くキリスト教の「教え」の下、女王の死によってイギリス国民が一つにまとまらなければならないと言った気概が感じられました。一方安倍元首相の国葬では、国民の考えがその実施の是非に対しても二分し、宗教色はほとんど見受けられず、どちらかと言うと「葬儀」というより「お別れの会」でした。今の日本では、憲法20条にある「信教の自由、国の宗教活動の禁止」により特定の宗教の「教え」による国葬が行われることは考えにくいということなのでしょう。安倍元首相は東京生まれですが、故郷の山口県でお墓参りする姿をテレビの映像でお見かけしたことがあります。それを国葬に反映させることさえできないのが今の日本という国です。弔うことに対して「教え」が伝わりにくい現状があります。

 かつて聖徳太子は、豪族どうしの争いが絶えない日本の世の中で、日本にはない深遠な「教え」を多く含む異国の宗教である仏教の「教え」を取り入れることによって、日本という国を争いのない安寧な国に統一しようとしました。そこで仏教排斥を唱える物部氏を討ち果たし(府南寺の国府の観音様、国府阿弥陀如来との関わり)、日本の仏教史は1400年に遡ります。飛鳥時代から行基を遣わした聖武天皇の仏教に対する信仰の厚い奈良時代を経て平安時代に入り、仏教は朝廷の厚い庇護を受け続け、遣唐使として全ての仏教の深遠なる「教え」(密教)のみならず土木建築工学、地質学、薬学、様々な野菜等を持ち帰った空海(弘法大師)の存在。その「教え」は、日本の国を駆け巡り護国の「教え」として全国に広がり名実ともに日本は神仏習合(神を敬い仏を敬う)の「仏教国」となります。1400年に渡る日本の神仏習合の宗教史が、当たり前の普通の生活の中に存在していたのです。  

 ところが、戦後のたった70年の間に日本は、およそ「仏教国」とは言えなくなってしまいました。葬儀はとりあえず仏式で行うが、そこに信仰心や「教え」は存在せず、むしろ「私は無宗教です」と言った方が周りに安心感を与えてさえしまうような世の中になってしまいました。「無宗教」という言葉は、同じ立憲君主制をとる歴史ある世界の国々ではおよそ考えられない言葉です。    その2に続く

ウェストミンスター寺院とは - コトバンク

エリザベス女王の「国葬」が営まれたウェストミンスター寺院

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