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般若心経④

★無眼耳鼻舌身意(むーげんにーびーぜっしんにー) 

眼も耳も鼻も舌も身も意も無く

◎眼の能力も、耳の能力も、鼻の能力も、舌の能力も、身体能力も、意識能力も固定性は無いのです。「眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(臭覚)、舌身(触覚)」を五感と言います。これに「意(意識)」を加えて「六根(ろっこん)」といいます。「根」は、その能力を成立させるものという意味になります。
自分の感覚を正しいと思い込む、あるいは自分の経験を正しいと思い込むことは煩悩の一つに分類されます。また、執着を断ち、人間に具わった六根を清らかにすることを「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と言います。

★無色声香味触法(むーしきしょうこうみーそくほう)

色も声も香も味も触も法も無く 

◎色境も声境も香境も味境も触境も意味世界も固定性は無いのです。「眼耳鼻舌身意」の「六根」に対応する外界の環境となるのが「色声香触法」に相当します。これを「六境」と言います。
外界の刺激を感じてそれを絶対のものと錯覚してはけません。

★無眼界(むーげんかい) 乃至無意識界(ないしーむーいーしきかい)

眼界も無く、意識界も無し

◎眼によって作られた世界も、意識によって作られた世界も絶対では無いのです。感覚は、多くの条件で支えられており、自分の感覚世界には謙虚にならなくてはいけません。「六根」と「六境」を合わせて「十二処」と言い、それに「六識」を加えて「十八界」と言います。
六識・・・眼界、耳界、鼻界、舌界、身界、意識界        

★無無明(むーむーみょう)

無明(むみょう)も無く

◎真実に対する迷い・煩悩の根本的な原因にも固定性は無いのです。無明(根源的自我意識)は、お釈迦様が説いた人間の現実がどう成り立っているかという縁起感「十二縁起(因縁)」の一番初めです。
自我は、智慧の働きを身につけることによって溶けていきます。

【十二縁起】
一.深層の自我意識 ①無明(根源的自我意識)

          ②行(それによる行為と習慣)

二.自我意識の縁起 ③意識 

          ④色(物質、対象)

          ⑤六入(六根)

          ⑥触(接触の縁)

          ⑦受(感受する条件と縁)

三.自我意識の現象 ⑧愛(自己愛)

          ⑨取(対象へのとらわれ)

          ⑩有(自己主張)

四.自我の行為と結果 ⑪生(生きがい)

           ⑫老死(それ相応の苦労)

★亦無無明尽(やくむーむーみょうじん)

また無明の尽きることなし

◎また、その迷い・煩悩の根源的自我意識は、起き続け尽きることはありません。自我は、何遍も生起し繰り返します。
従って、智慧の目によってその都度目覚め人生修行を続けることが大切なのです。 

★乃至無老死(ないしーむーろうしー)

ないし、老も死も無く

◎老いや死の苦労もこだわりようが無いのです。「十二縁起」の順観は、無明からはじまり老死で終わりますが、生きがいの結果それ相応の苦労があります。しかし、覚めてみればそれも固定性は無いのです。

★亦無老死尽(やくむーろうしーじん)

また、老と死の尽きることも無し

◎老や死の苦労も無くなることは無い。生きがいを貫けばそれ相応の苦労はいつでも生起します。その苦労が喜びと感じることができるなら人生「よかった」と言えるでしょう。

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