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泰平山府南寺の人物史

 新年あけましておめでとうございます

 平成29年の年頭に当たり、泰平山府南寺の歴史を簡潔にまとめさせて頂きました。

 

≪飛鳥時代≫

 聖徳太子が、物部守屋との戦いの前に伊勢国府の地(現在の鈴鹿市国府町の観音山)に千手観世音菩薩を刻み、補陀落山府南寺を建立する。推古天皇の勅願所となる。

 聖徳太子は、物部守屋との戦いに勝利し、現在の府南寺の場所に国府阿弥陀如来を本尊として無量寿寺を建立する。

 

≪奈良時代≫

 無量寿寺が、聖武天皇の勅願所となる。

 行基が入山し、無量寿寺を修復、鐘楼の鐘を鋳造する。

 

≪平安時代≫

 弘法大師【空海】が無量寿寺に入山し、山号を泰平山とし泰平山無量寿寺とする。これより泰平山無量寿寺は、真言宗の寺院となる。

 花山法皇が補陀落山府南寺に入山し、御製(ぎょせい)の和歌を残す。

 

≪鎌倉時代≫

 運慶が、泰平山無量寿寺本尊(国府阿弥陀如来)の守護神として金剛力士像を彫刻する。

 奈良西大寺の覚乗上人が、伊勢皇大神宮から二見ヶ浦を経て泰平山無量寿寺に入山し、国府阿弥陀如来が伊勢皇大神宮(天照大神)の本地仏【本地垂迹(ほんじすいじゃく)】であることを確認する【竹布の袈裟の存在】。

 

≪室町時代≫ ~ ≪戦国時代≫ 

 織田信長による天正年間の兵火を逃れ、補陀落山府南寺の本尊千手観世音菩薩は、泰平山無量寿寺に移される。これより当山は、本尊を2体(国府阿弥陀如来と国府千手観世音菩薩)有することとなり、泰平山無量寿寺の山号と補陀落山府南寺の寺号を取り、泰平山府南寺と改称する。その後数世を経て、当時の府南寺住職、光然法印の高弟であった良遍法印は、学識も行動力も兼ね備え、観音堂を再建し、阿弥陀堂を改築し、現在の泰平山府南寺の基礎を固めた。

 ゆえに、良遍法印をもって、泰平山 中興(ちゅうこう)の開山第一世とし、十六世を経て現在に至る。

 平成29年が、皆様にとって平穏な年になりますことを心より御祈り申し上げます。

合掌

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